どんよりとした空から時折薄日がさし、粉雪が舞っています。
温度はさほど下がっていませんが、薄ら寒く感じます。
うちの庭に隣接して、大きなカシの樹があります。
大きな樹はそこにあるだけで、包容力を感じ嬉しいものです。
日陰をつくり、風を遮ってくれ、
秋にはたくさん、たくさんドングリを落とし、
近くの子ども達が拾いにきます。
そして、春には、どんぐりからいくつも芽吹きます。
たいがいは、この樹の下の日陰で枯れたり刈られたりしまいます。
このカシの樹、毎年毎年1メートルずつ大きくなっています。
ここに住み始めた5年前には、この先にある信号機が見えていたのに、
今は全く見えません。
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カシの樹、庭から4メートル下の公園に植わっている。種類はわからない。 |
子ども達が幼かったころ、読んだ絵本を思い出しました。
それは「大きな木」という絵本。「大きな木」と「ぼうや」のお話です。
大きな木とぼうやは仲良しで、ぼうやは木が大好きで、木と遊びました。
ぼうやは成長して、木に会いに来なくなってしまいました。
ある日、大きくなったぼうやが木のところへやってきます。
木は昔のように遊んでおいきと言いますが、ぼうやは言います。
「おかねが ほしいんだ。 おこづかいを
くれるかい。」
木は困りましたが、実をすべて与えます。
大人になったぼうやは家を欲しがり、木はその枝を与えます。
年老いたぼうやは船を欲しがり、木はついにその幹を与え、
切り株になってしまいます・・・与え続けるりんごの木。
実をすべて与え、枝をすべて与え、そして幹さえも与えてしまいました。
「木は
それで うれしかった・・・ だけど それは
ほんとかな。」
木は、本当に幸せだったのでしょうか?
木がしてあげたことは、ぼうやのためになったのでしょうか?
「与える木」として考えること。「与えられる木」として考えること。
解釈はいろいろでしょう。人生経験、考えが様々だから。
「大きな木」は、引っ越しの時から、この家にないけれど、
あのきれいな緑の表紙をまた見たいと思いました。
あの本を前に、自分はどう思うでしょう。