2013/06/27

2013-06-27:エダワカレジョウズ


うちのイカリソウは、天狗高原のむこうの大野原からやってきた。
父の知り合いのヤマモトさんのところから。
そのイカリソウについてきたのがこの花。
「なんやらわからんけど、せっかくついてきたし、
かわいいし、ま、うちにおってもええかなと思って」とは父の言。

枝分かれの法則の教材にできそうにキレイなパターン。
その先につく小さな白い花。
集中して見てみるといわゆる小花柄がリアルにそこにある。
もしも名前がわかるなら、どなたかぜひ教えてください。

2013/06/26

2013-06-25:レンゲローズ

雨がしんしんと降っている。
庭が模様替えを見せるのは雨の後で、
だいたいが台風のころと相場は決まっているのだけど、
梅雨のころも少しずつ様子を変化させている。
ヤマボウシの花弁は乱れ散り、それはそれで刹那で美しい。
目立つ花ほど、散った後の様子は何か心にぽっかりと穴を残すようだ。
美しいときは、長くない。

この写真は、2週間ほども前に父が撮っていたレンゲローズ。
うちの庭で馴染むのが難しいバラだけど、
こう小振りだと、これもなかなかいいね、と思う。
レンゲローズは、牧野博士の地元、佐川から叔母に連れられてやってきた。
日本で作出されたミニチュアバラ、別名は八女津姫。
大きなバラでは1枚ずつの行方が目につく。
激しく、美しく、しかしときに、下品に映ることもある。
小振りだと、そっと花が散るから、散ったことに気付かないことも。
そういう花の終わり方もある。


2013/06/21

2013-06-21:ナナフシモドキ


おそらく、甥がオリジナルで好きなもの。
・小人図鑑
・ナナフシ
他にクルマや、そこから派生したであろう球技での球の速度や回転などは、
産まれてすぐから、大好きなお父ちゃんといっしょにあったからだと思われる。
『小人図鑑』をじぃーっと夢中で眺めている姿に、
姉は自分と同じもの(姉も植物やら動物やらの図鑑が好きだった)を感じるらしい。
でも、昆虫図鑑や恐竜図鑑にはそこまで興味を示さないところを見ると、
姉の言う「多様性がキーワードよ」というのは当てはまらない気がする。
…とは、勝手な雑感。

とにかく、なぜか、数ある昆虫の中でも甥は最もナナフシに興味を示す。
うちにいるとナナフシは決して珍しいものでもないのに、
見つけるたびに「ナナフシがおるー」とキャピキャピした声で喜んでいる。
たしかに、小枝を模した姿はあまりにも意表をついていて人を驚かせるし、
さらにそれがカメレオンのように色を変えるとなると、
ココロをぐぐっとつかまれる。
つまり、「アナタノカラダハイッタイドウナッテイルノ?」。
ナショナルジオグラフィックのサイトでも「情報はほとんどない」とのこと。
こんなにも不思議なイキモノなのに、
検索をしてもカラダの不思議についての言及は少ない。
それとも、あんまり不思議でもないのだろうか。

カラダがたくさんの節でできているから「ナナフシ」。
世界各国にいろんなナナフシがいるそうだけど、
ここにいるのはナナフシモドキだろう。
草食で、翅や飛翔能力が退化している。
防御手段として、敵に襲われたときには自分の脚を切り落とすらしい。
まだ脱皮を繰り返している若い時なら脚は再生するけど、
成長段階が終わりに近いころになると再生しないとのこと。
動きは緩慢。
のっそり、のっそり。

2013/06/19

2013-06-19:ワカギノサクラ


クモノスよりはじめて。
我が家に生息するクモたちは、今年も活発に活動中です。
昨夜など、子どもの拳ほどもある、身なりのしっかりとしたクモが
ササササーッと忍者のごとく(でも発見されているから忍者としては失格)
壁をつたって逃げているのを数回目撃。
網戸は天然ムシコナーズ状態で、
恐らく、光に誘われて網戸に近づいた獲物が入れ食い状態なのでしょう。
見つけるごとに「あ、また“赤外線”」などと言いながら
容赦なくクモの巣を破壊しているワタシを見て、
姉が「でも、また朝の4時ごろになったら巣を作るよ」とたしなめたのでした。
なぜ朝の4時かは、調べてみてもわからなかったけど、
破壊しても破壊しても、同じ場所に同じように巣を張っていきます。
彼らからすると、「あ、また壊された」という感じなのでしょうか。

このクモが気に入ったのは、ワカギノサクラの枝。
小さくカタチの整った巣を張って、じっと待っています。


ワカギノサクラの開花は4月ごろ。
牧野博士が、地元である佐川町にて発見したそうだけど、
現在は自生しているものはなく、絶滅危惧種なんだとか。
まっ赤でつややかな実を成らしていることは、
きちんと媒介者がやってきていたのでしょう。
クモの巣は、そのときに味をしめたクモのものかもしれません。


2013/06/18

2013-06-17:モグラ塚


モグラはいつでも掘削作業に勤しんでいるワケではない。
掘削作業は重労働で、その作業をしたということは、
改修や修復、増築が必要になったということだ。
それに、トンネルは先祖代々から受け継がれているために
まったく新しく巣が作られるというのはほとんどない。
このことを知って、想像するとちょっと笑える。
あまりにワタシたちの生態と似ている。

うちの庭でモグラ塚ができることはほとんどなかったけれど、
この盛り上がった土を見る限り、どうやら庭の地下にはモグラがいるらしい。
他の人はどうかわからないけど、ワタシはちょっとうれしくなった。
「そちらの住み心地はどうですか?」なんて言いたくなるような
ほんわかとあったかい気分。
この穴は、巣以外に狩猟の場としても使われる。
虫やミミズなどが穴にひっかかるのを感知して採取する。
うちの庭にはたくさんの獲物がいるはずだ。
だから、住み心地は抜群だろう。

2013/06/17

2013-06-16:ヒメユリ

我ながら「雑やなぁ」と思ってしまうところが、
「ユリ」と聞くと、そのものを見る前にまず「やめとこ」と思ってしまうこと。
そこまで思う所以もないと思うのだけど、
同じカタチやし、とか、大きいか小さいかの違いでしかないし、とか、
どこにでもあるし、なのにみんなもてはやしすぎやわ、
などと難癖をつけてパタリとドアを閉めてしまうクセがある。
条件反射なので、これはもうどうしようもないことなのかもしれない。
だから順を逆にすると、つまり、
見た後に名前を聞いて「ユリ」だとわかると感激することがときどきある。

ヒメユリは、うちの庭で最近咲いている。
本当に無学でどうしようもなく恥ずかしいけれど、
ヒメユリだと認識して見るのは初めて。
今まで、この花はいったい何かを知らないままに
まっすぐに天を見ている様子がいいなぁと思って見ていた。
周囲にたくさんある緑とは真逆の色相の朱色。
小振りで潔く、スクッと背を伸ばして小柄ながらに堂々としている。
首をかしげて媚びているのがユリだと勝手に思ってきたので、
この花はなんだろう、と密かに思っていたのだった。

朝、「ヒメユリを撮った」と父に言われてガッカリしたのが、
名前がわかってスッとした。
そうか、ユリか。


2013/06/14

2013-06-14:カキラン


「カキランが咲いたで」との姉の発信。
これに父が「知っちゅう。咲いたね」と応答。
それを聞いてワタシも探していたけど、
いつものところにあるはずのカキランが見当たらない。
今朝、父はカメラ越しにカキランを見つめて、
「いつものところにはなかったろう」とニヤリとした。
土や草にまぎれて目立たず地味だが、見つければ、
その特異な色彩と整った姿カタチに、ココロが動かされる。
みんな、カキランのことが好きだから、
カキランが花を開くととてもうれしそうに報告し合っている。
なんてゆるりとしているのだろう。

ワタシにとっては、この庭で見たのが初めてだった。
一昨年前に、姉の、カキランの思い出を聞いて、
それをここに記録してある。
「だれも知らない、わたしは知っている」というのは
人間関係で言えば裏を探りたくなる狂気的な言葉だけど、
こと植物なんかにおいては、ココロを満たすささやかな喜びとなる。
カキランについて、改めてインターネットで調べてみると、
学術的なことばかりのサイトか(余裕のあるときに見ようと思う)、
ほんのちょっとの情報しかないページたちにまぎれて、
個人的なブログやらなんかには、やはり同じように
「小さくて目立たない地味な花、なのに見つけたときの喜び」
みたいなことがよく書かれてあった。

柿渋色の服は、着ている本人が思うよりも派手ではない。
和服なんかでも思うことだけど、
庶民的で地味ながら、意外と美しく見えることが多い。
カキランはちょうどそんな感じ。
ショウブなどといっしょに群生していることもあるようで、
濃い群青の中に柿渋色がさしている様子は
地味な色合いながらに美しいだろうなぁ。

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ちなみに、カキランにはアリがよく侵入する。
アリは蜜を盗むものの、カラダが小さすぎて花粉を運ぶことはできない。
カキランの種子は、胚と種皮からなり、水を吸って外に出る。
さらに膨らんで仮根を出し、仮根からラン菌を取り込み、
ラン菌によって糖類やアミノ酸、植物ホルモンを供給されて
やっと生育できるそう。
ラン菌を取り込むことのできる種子は少ないため、
種子は大量につくられるとのこと。

2013/06/13

2013-06-13:ササユリ

ここ数日ほど、毎日くらいに父から「ユリはどうや」と聞かれていた。
写真撮ったよ、気付いてる?、と言いたいらしい。
ほっておけば忘れるだろうと思っていたけど、どうやらそうもいかず、
一昨日には「ユリも撮ったけど」となり、
昨日には「ユリは採用してくれないの?」に変わっていた。
きっと旬は今なのでしょう。
白状すると、昨日の記録には一瞬「テッポウユリ」と記したところ、
その記録を見た父から「あれはササユリなが」と苦笑されました。
やり取りを見ていた姉にも呆れた顔で笑われてしまいました。

自分を擁護するようだけど、「ユリ」とはラッパ型の花を持つ植物の総称。
世界中にたくさんの品種があり、中でも日本と中国はユリの宝庫。
かつて、江戸末期にシーボルトが欧米に紹介し
持ち帰った日本のユリの球根はかなり人気があって、高値で取引されたらしい。
ちなみに、「百合」の由来は、
細い茎についた大きな花が風に揺れている様子から。
「ゆる(揺)」が変化して「ゆり」となり、
さらに葉や鱗形が複数重なることから「百合」の字が当てられたとのこと。

そんな広いユリの世界においても「ササユリ」は人気のある品種。
「育てようとしてもなかなか育たんし、でも、うちにはなぜか居着いた」と
父はちょっと自慢そうに、猫背をシャンとさせて言っていた。
ササユリの名の由来は、葉や茎やらが笹と似ていることから。
花言葉は清浄、上品。

2013/06/12

2013-06-12:雨の小休止。

梅雨の晴れ間。
まだ乾いていない雨露が日差しを浴びてキラキラ。
せっかくの小休止なのに、パソコンが不調で新しい写真を読み込めず。
「ササユリ、撮ったのに上げてくれない…」と父の声が聞こえるけど、
ササユリなら今日じゃなくてもいいような気がしたので、今日はこれにて。
…なんて書いているうちに、カンカン照りの形相。
急いで部屋からシーツを持ってきて、今日は洗濯にいそしむとしよう。

2013/06/11

2013-06-11:シモツケ

シモツケの名の由来は、
下野国(栃木)にて初めて発見されたことによるらしい。
バラ科の落葉低木。
姉「シモツケ咲いたねぇ」、父「咲いたかぇ」で、
その翌日の今朝、早速写真が撮られていた。
ふたりとも、シモツケが好きらしい。

小さな花が仲良く集まって、
けっこうハデなピンクの存在感を主張している。
寒冷地に強い低木、かつ、日当りを好む。
こうして雨の日にも目の覚めるようなピンクをチラチラと見せて
「ワタシはここにいるよ」と言っているみたい。
山の中で見ればそれがより健気に目に映るんだろう。

はじめこそ「どうせ今年もカラ梅雨」なんて侮っていた天気も
この週末から梅雨らしい梅雨の顔になってきた。
空には雲、青空はほんの少しも見えてない。
光の少ない今ならば、もともとの色彩の鮮やかさが
雨に濡れて濃度を上げ、色気を携えた姿で目に入ってくる。
雨だと足下は濡れるし、寒いし、ただただ鬱陶しいけど、
こうして庭を眺めてみると、なんだか意外と悪くない。
雨が降るからといって、空が泣いているワケではないのか。
雲に覆われているからといって、しかめっ面なワケでもないのか。

甥は、雨でもイチゴと梅の実の収穫に余念なし。
風邪をひかないように注意しとかなければ。

2013/06/10

2013-06-10:アカショウマ

いつものように、「ショウマ」を調べてみると、
サラシナショウマ、アカショウマ、トリアシショウマなど、
いろいろと種類があることを初めて知った。
キンポウゲ科にユキノシタ科、他にバラ科と、所属もさまざま。
根を漢方「升麻」として使うサラシナショウマが基本で
花序が似ているものを総称として「ショウマ」と言うそうらしい。
(大元になっているサラシナショウマは
他と少し全体像が違うように見えるけど)
どれも見分けがつきにくい、といろんなサイトで書かれてありました。
根茎が赤いものは「アカショウマ」らしいので、
うちの庭にあるものはきっとアカショウマでしょう。
ちなみに、アカショウマはユキノシタ科チダケサシ属。

ショウマは、うちの庭の小道にスッと立っています。
このくらいの時期から、なんとなく存在感を醸し始め、
白くて小さな花をうれしそうに頭に散りばめています。

2013/06/08

2013-06-08:オダマキ


10年以上も前まで、うちは薬局と商店を兼ねたような店で、
まだワタシが子どもだったころは、
店は資生堂のショップのようなこともしていた。
化粧品を置いてある一角には大きな鏡があり、
つまり、そこがサンプルを試すスペース、
アイシャドウや口紅、頬紅など、色とりどりのパレットがそこにはある。
ワタシは、パレットのある引き出しを
こっそりと開いて眺めているのが好きだった。
触ることはためらわれ、ただ、距離をおいて眺めるだけだった。
その裏のスペースには、季節ごとのポスターや広報、『花椿』。
全て、ただただ、美しく、自分とは遠くにあるものに思えて憧れた。

オダマキから随分離れてしまった。
まだ幼ないころの勝手なイメージの中で覚えていることだから
以下、正確ではないかもしれない。
あるポスターに「う、ふ、ふ、ふ。」とあって、
キレイな女の人がいたずらっぽくニッコリ笑っていた。
資生堂の新商品のポスター。
オダマキというよりも、この写真が、その雰囲気を思い出させる。

オダマキの顎も花弁ものびてきた。
街灯のように首を垂れ、そろそろ色がつくのを待っている。

2013/06/07

2013-06-07:ウメモドキ


花の季節は5〜7月のまさに今ごろに、
ウメの花を忘れたころに姿を見せる小さな“ウメモドキ”。
今年もかわいく咲きました。
春されば
まづ咲く宿の 梅の花
ひとり見つつや
春日暮らさむ
(山上憶良)
これは、年末年始が過ぎたころの梅の花をうたったものですが、
素直に、言葉通りに受け取れば、イマでなら
ウメモドキをウメにもじったのと同じだなぁと思ったのでした。
葉や枝ぶりが似ていることからこの名に、とのことだけど、
花ぶりだってちょっと似ているようです。
例年通りに雨の降らない暑い梅雨に、やや清涼感の漂う白い花です。

それにしても、バイカオウレンにバイカイカリソウなど、
ウメにもじった名を持つ植物はとても多いのですね。
でも、ウメをうたった唄はいくつもあるのに、
似た植物をうたったものをあまり見かけません。
ま、期待せず、気にせず、思い出したときは声をかけてねという
気軽さも「もどきもの」の良さでしょう。

ウメモドキの実の発芽抑制物質を解除するカギは
小鳥の体内を通過するときに起こる化学変化とのこと。
このことは、「今いるところとは別の、もっと遠くへ」を意味します。



2013/06/06

2013-06-06:シロモジ

うちで「ヤカラメ」と呼ばれるシロモジ。
姉のココロをわしづかみにしてうちの庭にやってきた一方で、
山仕事を生涯の仕事としてきた故・祖父にとっては
なんのために存在しているのかよくわからないといった印象に加え、
たくさん生えてくるから「こいつめ」「輩め!」となったよう。
ま、多くの山の漢たちがそう思い、呼んだんだと想像するのが簡単だ。
このハナシは、前にシロモジを紹介したときも書いた。

“シロモジ”に関する、姉と祖父の想いの違いを思い出すと、
ときどき、ワタシの頭の中ではぐるぐると考えが一通り巡る。
生きるのに必要でなかったシロモジは、
生きるのに祖父ほど必死でない私たちにとって
オシャレに見えるということは、一体どういうことなんだろう。
とにかく、都会の粋な方々がクロモジを楊枝に仕立てたように、
ワタシたちがシロモジに粋を感じていることに間違いはない。
葉の、少し丸みを帯びながらのんびりと3つに股を割った様子は素朴だし、
新芽の今のころの赤と緑のグラデーションも美しい。
非の打ち所がない、というよりは、ホッとさせる雰囲気、というような感じ。
だから、とても魅力的に映る。

山仕事の最中に「ああ、またか」と思った先人の気持ちは、
その現場にいないワタシには想像することができない。
ただ、「それがなければ生きていけないもの」ではないとわかったうえで、
価値を思うなら、そのココロは「余裕」「遊び」からやってくるのだろう。
素朴で質素なシロモジに、ときどき「豊かさの象徴なんだな」と思う。

今年の新芽も順調。
秋の紅葉を、ワタシは注目して見たことがない。
今年はちゃんと見ておこう。

2013/06/05

2013-06-05:ヤブコウジ





じゅげむ  じゅげむ
ごこうのすりきれ
かいじゃりすいぎょの  すいぎょうまつ
うんらいまつ  ふうらいまつ
くうねるところに  すむところ
やぶらこうじの  やぶこうじ
パイポパイポ
パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの
ちょうきゅうめいの  ちょうすけ
※寿限無Wikipediaよりコピペ)

この「やぶらこうじのやぶこうじ」は、

意味としては、一説には「ヤブコウジ」を指していると言われている。
ご存じ、落語『寿限無』より。
縁起のいい名を考えていたら日本一長い名前になったというハナシで、
つまりここで、ヤブコウジは生命力の豊かな縁起のいい植物として扱われている。

通常、照葉樹林にて育つヤブコウジは、

「日に向かって少し背伸びをしたところで、そうやすやすと光はもらえないから」
というような理由からほとんど茎は伸ばさず、
その代わりに光が差し込んでくる場所を探して地にじわりと這って生き、
光がしっかりと差し込んでくる日を待っている。
葉の時期は長く、何年も同じ葉をつけるそうだし、
実も長い間つけているそうで、その辺りが「縁起の良さ」に通じたのだろう

ワタシにとっては、この小さく地を這って育っているのがかわいく、

葉の表面のツヤも色もいやらしくなく、ちょうどよいように感じられた。
「撮って」というと「花はまだやで」と返ってきたのを
今日は無理やりに撮ってもらった。

葉の下には今にも咲きそうなツボミが並んでいる。

こうして見ると、ツボミのカタチといい色といい、
焼き物のように静かな様子なんだなぁ。


ちなみに、冒頭の寿限無を漢字で表記すると以下のようになる。

寿限無  寿限無
五劫の擦り切れ
海砂利水魚の水行末
雲来末  風来末
食う寝る処に  住む処
藪ら柑子の  藪柑子
パイポパイポ
パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの
長久命の  長助
※寿限無Wikipediaよりコピペ)

2013/06/04

2013-06-04:ウメ

昨日のこと。
学校から帰宅後、ランドセルすら下ろさないまま
「ねぇねぇ、なにか入れ物ちょうだい」と手を出す甥。
手には両手いっぱいの梅の実。
あわててタッパーを取り出すと、ポケットからも実がどんどん出てくる。
「もっととってくる」と走り出し、
梅の木の下で手を一生懸命に伸ばしながら梅の実を収穫し続ける姿に、
なんだかワタシもとらなければいけないような気がして、
倉庫から脚立まで取り出し、
ほんの30分そこそこでタッパー3つにいっぱいに。
それでも、まだ1本分の梅の実すら全部とったわけではありません。

今年も梅がたくさんの実をつけました。
家族はみんな喜んで、今年も梅が梅干しになる日を心待ちにしている様子。
むしろ、梅干しを待っているというよりは、
梅干しを作っている工程を眺めて季節を感じることを楽しみにしている、
といったほうが感覚としては正しいのかもしれません。
時間と手間のかかることをきっちりやることで、
ココロがしみじみと豊かになれるように思えます。

でも、いったい、誰が梅干しにするのでしょう。
母が単身赴任中の今、できれば我関せずの顔でいたいというのが
矛盾は承知ながら、正直なところで…。

2013-06-04:アカトンボ


生け垣にしているシラカシは新芽がよく芽吹いていて、
色素の薄い葉が風に揺られたり雨に濡れたりすると、
向こう側が透けて見えるようで美しい。
こうして、赤とんぼの留まっている様子を切り取ると、
夏をすっとばかして秋になったような気分になる。

ところでこれは、赤とんぼの中でもナツアカネというトンボだと思われる。
ナツアカネとアキアカネとは、ほとんど違いがない。
じゃ、活動時期が違うのかというと、それすらほぼ同じだそうだけど、
夏の間、暑さに弱いアキアカネは
低地を離れて高地へと活動の場所を移すのに対し、
(それも、移動距離がとても長いのがアキアカネの特徴)
ナツアカネは季節によらず、人里を離れないものが多いとのこと。
それに、アキアカネと比べて、ナツアカネは腹部まで全体に赤いんだそう。

それにしても、いずれにしても鮮やかに赤く変色するのは成熟期を迎えた雄。
この赤とんぼは充分に赤く変色していて、なんだか季節を見誤ったかのようだ。

2013/06/03

2013-06-03:ミノガ


小学生のころ、ミノムシは身の回りにある何でもを蓑にする、
という実験をしたことがある。
ワタシたちが班で使った蓑の材料は細かく裁断した色紙だった。
他の班はどうだったか忘れたけど、
色とりどりの蓑が出来上がって感激した記憶がある。
そのくらい、ワタシが子どものときも珍奇な虫として見ていた。
街を歩いていても、東津野くらいのイナカであっても、
ミノムシにお目にかかることは少ない。
だから、見るとちょっとうれしかった。

父が子どものころはかなり事情が違う。
天狗高原のすぐ“下”の集落にあった父たちの家の周辺は
ま、当然ながら山の中、目の前の道路も舗装されていないところ、
ついでにいえば、雪の時期にはスキーで学校に通うくらいの感じ。
となると、意識せずとも周囲は木々や植物しかないし、
そこで生活をするミノムシたちとの日常はあまりに普通だったので
特に注目して目にとめることもなかったと。

庭を見回してみると、ミノムシの蓑がたくさん木に“成って”いたので、
父は「ミノムシを見せちゃお」と得意げに言って、
だいぶんご無沙汰の“近所の幼馴染み”を紹介してくれた。

庭で見つけられたのは2つの蓑。
そのミノムシを見ようとワラワラと庭に出て背伸びしていると、
後方から、「それはたぶん、ミノガやね」と姉の声が飛んでくる。
「蓑を作るのは雌。雌は一生を蓑の中で過ごすがで」。
雄が雌の蓑の中に入って生殖行為を行い、
雌は蓑の中で産卵をして卵を守り、最後は蓑からポトリと落ちて死ぬらしい。
「へぇ」と感心して見ていると、聞いてもいないのに、
ミノガの生態についてのウンチクが始まった。
自分は昔、蓑の中で過ごしたことがある、というくらいの口ぶり。
頭の中は、ミノムシを見ることでいっぱいだったので内容は覚えていない。
ただ、姉はなぜこのようなことを知っているのだろうと
感心半分、呆れ半分に思ったのだった。

蓑を被って身を隠すミノムシは、やっぱりちょっと愛らしい。
小さな小さな自分の居場所に一生懸命隠れている。
隠れているから見つけたくなる、見つけたら自慢したくなるもんで。


2013/06/02

2013-06-02:ヤマアジサイ


こないだの木曜日の夕方のこと。
小学校の前の花壇に咲いてあるのを指差して、
「咲いちゅうが、知っちょった?」とおもむろに言う甥。
そこのアジサイには少しマゼンタが混じっている。
ヤマアジサイで、手入れの割にキレイだと思った。
「アジサイ」にピントを合わせて周囲を見てみると、
緑の葉たちの中に、赤紫や群青の、花の鞠がいくつも見える。
こないだ5月になったばかりだと思っていたので、
「もう6月か」と少し気が焦る。

アジサイの花の色は、
土が酸性なのかアルカリ性なのかで変わるというのは
あまりに有名なハナシ。
ちなみに酸性では青、アルカリ性では赤で、
土中のアルミニウムが溶け出して
根から吸収されやすくなるかどうかがモンダイだとか。
酸性なら溶けるし、アルカリ性なら溶けない。
吸収されたアルミニウムイオンは色素に作用し、青い色を発現する。
これは化学のハナシだ。

これから長く続く雨とアジサイの日々。
嫌いではないのだ。

2013/06/01

2013-06-01:マメ科アナタハダレデスカ

「ねぇ、ねぇ、このマメ科は何?」と聞くと、「わからない」と言われた。
「だって、植えたワケじゃないもん。勝手に生えてたんだもん」とのこと。
うちには、植えたものにも、勝手に飛来したものにも、わからない植物が多い。
父や姉に聞けば何でもわかると思っていたのに、
「わからない」という返事は意外に多くてびっくりする。
というか、その種類の多様さに。

このマメ科のアナタハダレデスカ、は、木陰の、
ツルやら何かやらが群生して生きている辺りにヒョロリと伸びてきた。
そんなヨソ者なのに、上品な薄紫の小さな花弁。
べっぴんさん、だ。



2013-06-01:ジャコウアゲハ

虫のいどころ
虫が好かない
虫の知らせ
虫がいい
腹の虫がおさまらない
わっちも虫いる人間だから
先日、掃除中に、カーペットの下から百足が出てきてヒヤッとした。
夜には羽虫が光につられてたくさんくるし、
昼は昼で、ワタシのいる部屋から、チョウやら何やらたくさん見られる。
トカゲの走る姿も、そのカサカサという音だってわかる。
小さな鳥たち(はっきり見ていないけど)は
渡ってきたばかりなのか、ピチュンピチュンと声を鳴らしている。
けっこうなスピードで飛び回りながら戯れているので、
どこかにぶつかりはしないかと心配することもある。
そういえば、最近は山バトも居着いている様子。
この時期は庭の植物たちが賑やかで、だからイキモノたちが寄ってくる。

ジャコウアゲハ。
雄はシックな黒の、雌はモダンな黄灰色の羽で(写真は雌)
他のアゲハチョウほどせわしく羽を動かすでもなく、悠然と庭に居着いている。
堂々とした態度は、繁殖力と生命力の賜物だろうか、
食草(ウマノスズクサ類)をよく食べ、繁殖力が強い。
ウマノスズクサ類が食草、その成分を体内にためて毒とし、
自分の次に誰かが捕食されるのを防いでいる。
それに、共食いもする。
とりあえず、否定されている説ではあるが、
共食いをするのは繁殖の自己調整のためじゃないか
というハナシもあったくらいで。
そう聞くと、少し哀しみの目で眺めてしまうのだけど、
目の前のチョウはやはり悠々と羽を動かし、優雅に動いている。
父は今朝、そのダンスを見たようだ。