タクマしく育ってほしい、お二方でございます。 ちなみに、これ、1週間前の姿です。 |
俄に、数ヶ月前から、ニューストピックスとなっているのが、
この、側溝からムクりと出てきたキュウリ。
うちの畑からやってきたのか、
サル(うちの畑の天敵)が仕込んだのか、
とにかくアスファルトと石垣のすき間に現れた意外な緑は、
いわゆる「図太さ」「たくましさ」の類の象徴として
うちに居着いた模様なのです。
実際に実をつけるか、つければ天晴れ、てなとこでしょう。
さて、キュウリ。
その歴史は遥か彼方、メソポタミアに遡り(えらい昔ですな!)、
シルクロードを仏教とともに…かどうかは知りませんが、
日本へと、流れ流れて入ってきたのは平安時代。
(キュウリの「胡」はシルクロードを渡ってきたことを示す文字らしい)
品種改良が施されないままに江戸を生き抜き、
幕末なってようやく、江東区(当時は砂村)にて、
今のような、「瑞々しい」「シャキシャキ」に生まれ変わったとのこと。
品種改良前の状態を具体的に示すなら、
徳川光圀公は
「毒多くして能無し。植えるべからず。食べるべからず」とし、
貝原益軒によると
「これ瓜類の下品なり。味良からず、かつ小毒あり」と
両者とも、何のコーティングもせずにマズさを表現したことで歴然。
……ほぅ。
遠方よりはるばる参りて、苦い顔をされながら長年を過し、
耐えて耐えて、耐えぬいて、
今の「食卓のいつものお方」の地位を勝ち得たのですね。
このキュウリはどうでしょう。
こちらでも耐え抜いて、麗しい(潤わしい)実をつけるでしょうか。
それとも、猿にさえ素通りされるカナシイキュウリとなるでしょうか。
…いや、ここはやはり、行く末がどうであれ、
その生き方のたくましさに敬意を表すべきなのでしょうか。
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