2013/07/24

2013-07-24:スモモ

甥にとっては、もう1年以上も前から待ち続けてきたスモモ。
いよいよ初めての収穫ができそう。

それがきっかけで調べてみて初めて知ったのが、
「スモモもモモも、モモのうち」とは言ってみたものの、
両者は全く同じ種ではなかったのね、ということ。
モモがバラ科のモモ属であるのに対し、スモモはバラ科のサクラ属。
むしろ、梅や杏と同じ仲間なんだと。(以上、Wikipediaより)
でもやっぱり、お尻(?)の割れ方といい、色といい、
ちっちゃい、酸っぱいモモ、というほうが心をくすぐる感じがする。
昔の人も、より心を動かされたほうを名にしたのでしょう。

甥が撮影。うれしげな頭もフレームイン。

昨日の夜は、軽い夏風邪でダウンした甥だったけど、
朝、おじいちゃんの「スモモ食べれるで」に、
すっかり元気を取り戻した様子。
ひとしきり自分でも、おじいちゃんのマネをして写真を撮り、
洗ってひとかじり、「すっぱ〜〜い!!」。



2013/07/18

2013-07-18:カワラナデシコ

昨日、遠目から庭をぼんやりと眺めていたら、
シロモジと思しき葉に紛れて、ピンクの花が咲いているのが見えた。
シロモジの花をワタシは見たことがなかったので、
「おやおや、咲くのかい?」と思ったものの、無精の気のほうが勝って、
近づいて、それが本当にシロモジの葉なのか、
シロモジの花が咲いているのかすらも確認しないままにいたのだった。

翌朝に思い出して確認してみると、なんのことはない、
シロモジの木に、それらしく寄り添って咲いているカワラナデシコ。

カワラナデシコは、いつも記しているように、どこにでもある“普通種”。
河原や草原の日の当たる場所に、路傍や山の斜面、海辺にだって自生する。
秋の七草に数えられ、園芸用・観賞用にも栽培されている人気モノだけど、
珍しいものが見られるかもしれないという期待が大きく膨らんでいたために
「なーんだ」と、ま、そこそこにガッカリしてしまったのだった。
シロモジは姉の好きな木だし、
もし仮に、本当にそれがシロモジの花だったとしたら、
たぶんずっと前に、他の人が気がついていたはず。
ダイイチ、全然花の時期も違うのに。
迂闊でした。

夏本番が近づいて、いよいよ明日は甥も終業式。
1年生の夏休みは、なんといってもアサガオの観察。
昨日、さっそく持って帰ってきたアサガオは、今朝、3つも花をつけたようでした。
津野町の物産展のようなものに参加してもらったカブトムシの幼虫も
元気に育って、昨日の夜、初めて土の上に顔を出していました。
夏の暑い最中も、ご苦労さん。

がっかり、なんて、失礼なハナシ。こんなにキレイなのに。(2年前に父撮影)

2013/07/17

2013-07-17:ヤマユリ

今年のファッショントレンドのひとつはプリントらしい。
ネットや雑誌を見ても、街を歩いても、
特にボトムスを中心に小花柄やらなんやらかんやらと
柄ものばかりが目にチラつく。
オシャレに多大なる努力をしているんだろうけど、
ワタシの目には、それらのほとんどが
“ナニコレ・ファッション(=浪花のオバチャンコレクション)”
に映ってしまうのだった。
理解できないワタシが遅れているのか、
それとも“ヘン”だと思う感覚で合っているのかちょっと自信がない。
ヤマユリの花の柄は、それらに比べるともう少し理解ができる。

うちの家は道路脇にあるというのに、
覆い繁る木々に紛れすぎて、すぐそばを歩いたとしても、
そこに家があるとはパッと見ではちょっとわからない。
その緑からは、季節を彩る花々が覗いている。
こないだまではアジサイだったのが、今はヤマユリへと変遷した。
ハイビスカスのような派手派手しいルックス、
軽くフリルが波打っているように見える花弁の裾も、
黄色のグラデーションの上に挿す
花粉の色と同色のランダムなドットも華やかだ。
たぶん、うちで咲く花のうちで最も目立つ花だろう。

たしか前にも書いたことがあるけれど、この花は、亡き祖父が好きだった花だ。
山の中で、パッと明るい表情に思いがけず会えてうれしかったのだろう。
ある服屋の店員さんに、
「柄モノも、色モノと同じように着ればいいんですよ」と言われたけど、
それならば柄モノをワザワザ着なくてもいいんじゃないかと思った。
柄は柄で、たくさんの色がそこにあるから表情が多様なのだ。
みんなが柄を着ているときに、こちらまで慌てて着る必要はない。
引き立てる深い緑があるから、ヤマユリはうれしいのだ。


2013-07-17:ネジバナ


得点にするなら、7.5点といったところ。
最後のウェーブは少し我慢が足りなかった。
ウェーブの基本は、隣の人が手をあげたのを確認してからあげること。
このネジバナは、待ちきれずに隣の花と同時に咲いてしまったものもいるようだ。
近所のスポーツセンターの脇でねじっていたヤツは9.4点だった。
それは見事に、全体的に等しい間隔で花を咲かせていた。

花は茎に沿って並び、真横にまっすぐ花を咲かせるネジバナ。
20個以上もの花は螺旋状について、
その様子はチアリーディングのウェーブのようだ。
ほんの少し足下に目をこらすだけで
ピンクの花がウェーブを見せているのを発見できる。
だから、「これは勇み足でねじりすぎ」
「これは臆病すぎたね」などと評価が生まれる。
右巻きも左巻きもあるし、途中で巻く方向が変わるものもいる。
でも、あまり評価のよくないねじり具合だったとしても、
ネジバナは愛される。
だって、かわいいから。

20個ほどの花がもしみんな一斉に並ぶと茎はたわんでしまう。
たわんでしまえば周りにある他の植物に日の光を独占されてしまうだろう。
まっすぐ上に向けて伸びることができるように、
花の咲く向きは真横のまんま、秩序正しく、バランス良く散らばることで、
姿勢を保っているんだそうだ。

2013/07/11

2013-07-11:ヤクシマショウマ

うちの人々(というか、父と姉)は、植物が好きだが、
その中でも“ショウマ”と名の付くものには格別の思い入れを感じることがある。
…というのはたぶんこちらの思い過ごし。
きっと、「ユリ」や「ラン」や「リンドウ」やらと
同じくらいの頻度で登場しているのだ。
ただ、ワタシの心への引っかかり方が他のものと少し違っているのだろう。
「ショウマ」という言葉の響きは何度耳にしても爽やかで新鮮だし、
華やかながら楚々とした佇まいなのは見た目にも涼しげ。
ちょっとだけだろうと、たくさん咲こうと、
遠目から憧れの眼差しを向けるのにちょうどいい、ような印象。

このヤクシマショウマは、どこから来たのだろう(失念)。
屋久島の固有種で、普通は渓流沿いや湿った岩場に生育するのだそう。
白い花のところどころに赤みが散らばっているのが、
小さな小さな打上げ花火がポンッと開いたような、
密やかな愉快さを感じさせてちょっといい。
茎の節々にも少し紅が混じっているようだ。
こういう柄が、濃紺の浴衣に大げさでなく挿しているのは風流だろう。
園芸の他、盆栽などでも楽しまれているよう。

写真はおそらく先週の金曜日に撮られたものと思われる。
今朝、「何ショウマ、か、覚えてる?」と父からプレッシャーをかけられた。
いつも、教えてもらってもすぐに名前を忘れてしまうために、
ワタシの植物への愛情はやや信頼性が高くない。
これに関しては、名前は忘れてなかったよ。

2013/07/10

2013-07-10:ショウジョウバカマ

これはショウジョウバカマ。
“ショウジョウ”とは漢字で表記すると“猩猩”となり、
これは中国の想像上のイキモノのことのようだ。
猿に似た風貌で大酒飲み。
花のひとつずつが赤ら顔になっていると見立てての名らしい。
“ハカマ”は“袴”、ロゼッタ状に広がる葉を見立てている。
由来を聞くとちょっと意外なくらいに、本人は、白く小さく可憐だ。

北海道から九州まで、低地から高地までと、ま、どこにでもある草花。
ただし、生育する場所によって花の色は違うらしい。
インターネットで検索してみると、
うちのは本当にショウジョウバカマなのだろうかと不安になるくらい
かなり様子が違って見えるのだけど、広く分布して土着したものは、
植物だって全然違う文化を持つようになるのでしょう。
下のほうから、ちょっとずつ開いてきました。


2013-07-10:ヤマアジサイ

祖母の部屋の窓から見えるヤマアジサイ。
これは先週の写真で、梅雨の最後の一絞りを受けて今はもう花は見えない。
街ナカではどうだろう。
とにかく、あれほど咲き誇っていたアジサイの季節は次へと移り、
これからあっと言う間に熱気とともに緑の濃い庭へと変遷する。
姉の仕事仲間は、昨日梼原へ仕事で来ていたそうで、でも、
「梼原だから涼しいかと思ったら、暑かった」と言っていたそうで、
「梼原で暑かったら諦めがつくでしょ」との姉の返事はオシャレだ。
夏が近づいてきている。
来週の金曜日には甥の初めての夏休みが始まる。

そんなときに、なんでそんな花を、わざわざ今日?と思うかもしれない。
でも、ワタシには、この、大輪でないアジサイのほうが美しいと思える。
そもそも、主張の少ないもののほうが好みなのだ。
雨の露が慕っているのもいい。
大量の緑の中に、涼しく小さな花を見つけて、
「もうちょっとだね」なんて、心の中でうなずいてみたりする。
「最後の春」なんて浸るわけではないけれど、
夏が近づくにつれて、今度は春が名残惜しい。

一方で、道ばたにあるネジバナやカワラナデシコもそろそろ旬。
庭は忙しい。

2013/07/04

2013-07-04:ジャノヒゲ


「ジャノヒゲがキレイやろ」と、父は昨晩からうれしそうに言っていた。
朝は朝で、庭の手入れを終えた父はカメラを取りに家に入ってきて、
そのままそそくさと写真を撮りにまた庭に“出掛けて”行った。
ジャノヒゲに関するワタシの印象は、群青色のまん丸い実。
子どものころ、友だちといっしょに近所の診療所の庭に忍び込んで
草の中をかき分けながら実を探した記憶。
うちの庭にジャノヒゲが咲いているのを見て
こんな花が咲くんだね、といつも感心するにはするのだが、
どうも子どものころの記憶が邪魔をして、
いつも同じように初めましてのような感想を抱く。
「花もキレイなんやねぇ」

ジャノヒゲは、クサスギカズラ科の一種。
葉の伸び方が蛇のヒゲに似ていることからこの名になった。
竜のヒゲになぞらえて「リュウノヒゲ」という人もあるらしい。
だいたいは、グラウンドカバーとして植えられているのが本筋なので、
花や実は不意をついて喜ばせてくれる、というような雰囲気。
白い花をつけているものもあるようだけど、うちのは薄紫。
コロリ、とまぁるい具合がアクセサリーみたい。


2013-07-04:シロハナガサ(名称不明)

「目に見えるものは何でもいい」
「青い空、とか、緑の草、とか。順番もルールもなし」
私たちは鉛筆とノートだけを持って、
獣道を抜けて、近くの、眺望のいい公園に行った。
何を書いたのかは覚えていない。
はじめは戸惑って、何をどう書いていいのかわからなかった。
そのうち、雲のカタチや草のカタチや、調子に乗ってどんどん描いていく。
これは中学のときの国語の授業のことだ。
他の人のノートをのぞいてみると私のとは全然違うものを書いてあったり、
同じものを同じ角度で書いていたつもりでも書き方が違っていたりして、
同じように同じ場所で何かを見ても違って映るんだなと感心した。
絵で描くのと文字で描くのとは同じことなんだなと思った。

日本語で色名が豊富なのは、それだけモノの見方が繊細だからだとよく言う。
モンスーン型の民族だからそうなのだとも。
生活やイノチに関わる色がたくさんある。
その結果、色の表現が増えたのだろう。
うちの庭にも色がたくさんある。
この季節になると、水分によって色が鮮やかに目に反射するようになる。
緑と一口に言っても、それ自身の持つ色に加えて
光の反射や水の蓄え具合によって見え方は様々だし、
緑だけじゃなく、紫やピンク、オレンジ、キイロと
それぞれの色について様々だからちょっと忙しい。
そう思って見ていると、小さな白いものが意外と目立つのだった。

このキノコの名前はわからない。
いつかここで記したキツネノハナガサかとも思ったのだけど、
どうやら様子はかなり違っている。
小さなころから菌類をこよなく愛してきた姉にもわからないそうだ。
菌類の世界は広くて深い。
ここを掘り始めると本当にキリがないのでやめておこう。
ただ、この、小さな小さな白いキノコがある、ということに留めておこう。

エスキモーなどの雪の中で生きている人たちは
“白”に対する名前をたくさん持つらしい。
毎年の雪に対しても、「今年の雪の色は〜」なんてことを思ったりするのだろうか。
それならば、この白いキノコは「白い」とは別の表現を持つのか。
なんて、果てしないことも想像してみたりして。

とりとめのない雑記でございました。

2013/07/03

2013-07-03:オトギリソウ


以下、2年前にもここに記したこと。
葉を透かしてみると黒点が見えることが、
血の跡に見えるということで付けられた名。
秘密だったオトギリソウの薬効を漏らしたとして
兄に弟が斬り殺された、そのときの血になぞらえている。
そのくらい、このオトギリソウの薬効は
貴重で効果も高かったということだろう。

効用は、止血、抗菌、神経痛、リウマチ、抗ウツなど。
「弟切草」なんて物騒な名がついたころは、
刀傷などに使われていたんだろう。

そんな由来を知らなければ、この花は、
小さく慎ましやかに伸びてただ咲いているだけ。
花弁のわりに長くのびた雄しべに水滴を蓄えて
キラキラと光っている。