ツリガネソウ・カンパニュラともいう。 キキョウ目・キキョウ科 |
ツリガネソウの花言葉は「感謝」。
これは、首を垂れたような格好からきているのだろうか。
もしそうだとしたら、たいへん深い角度で頭を垂れていることになる。
こんなに深々と、一体誰にお辞儀をしているのだろう。
前回に引き続いての夫の父の話。
父の話をしたくて、この花を題材に選んでみたのだった。
夫の父が亡くなるちょうど一年前、
医師から不治の病であることを告げられた。
「来年の正月は迎えられないかもしれない」。
年齢を思えば驚くことでもないのかもしれない。
けれど、私たちは少なからずショックを受けた。
そして悩んだ。
父に告知するべきか、否か。
父は強気な人である。
弱気を隠すために強気な言葉を出してしまう人である。
だから、もしかすると、告知は決定的な弱気を招き、
死期を早める原因になるしれない。
すぐに、夫の兄弟たちで話し合いが開かれた。
成人をし、仕事を持ち、家庭を持ち、
共通の時間を持たなくなって久しい兄弟たち。
こうしてひとつの机に会するのは、一体いつぶりだろう。
ひとしきり話をした後、夫の妹がポツリ、つぶやいた。
「お父ちゃんが会わせてくれたみたいやなぁ」
結局、私たちは父に病気のことは伝えなかったけれど、
日常的に普段にできるべきことが、
目にみえる早さでひとつずつなくなっていることで、
父も死期が近づくのを感じていたようだった。
それから亡くなるまでの一年間。
父は、私たちに多くのことを教えてくれたような気がする。
「ああせえ、こうせえ」なんて口に出したワケではない。
ちょっとしたことでも「ありがとう」。
一番目のひ孫の遊ぶ姿に「ホンマにこの子は、ええ子じゃのう」。
孫や孫の嫁が難しいことに挑戦すると聞くと、
「ようがんばりゆう、えらいのぅ。わしもがんばらないかん」。
衰えゆく身体と反比例に、発する言葉には
不思議と力が増していくように感じられた。
「強気」と言えば悪いことも含まれそうだが、
父の「強気」は、思えば、自らを鼓舞するものが多かったように思う。
要するに、「前向き」なのだ。
今のその姿勢には、こちらの心が思わず震えた。
そして二番目のひ孫が誕生。
できたての名前を聞いて、「これ以上の名前はないぞ」と誉めた。
(父は、最後の力を振り絞って、ひ孫に会うまでがんばった!)
父の四十九日ももう今週末に。
多忙のうち、実感も伴わないまま時間は過ぎている。
生きていたら、父は、遠くから私たちを見て、
「えらいのぅ。わしもがんばらないかん」と目を細めているかもしれない。
あるいは「もっとやらんかい」と
そう思ってしまうと、見られているようで手が抜けなくなる。
で、やっぱり、頭が垂れるのだ。