2012/10/23

2012−10−22 ツリガネソウ


ツリガネソウ・カンパニュラともいう。
キキョウ目・キキョウ科

ツリガネソウの花言葉は「感謝」。

これは、首を垂れたような格好からきているのだろうか。
もしそうだとしたら、たいへん深い角度で頭を垂れていることになる。
こんなに深々と、一体誰にお辞儀をしているのだろう。
前回に引き続いての夫の父の話。
父の話をしたくて、この花を題材に選んでみたのだった。

夫の父が亡くなるちょうど一年前、
医師から不治の病であることを告げられた。
「来年の正月は迎えられないかもしれない」。
年齢を思えば驚くことでもないのかもしれない。
けれど、私たちは少なからずショックを受けた。
そして悩んだ。
父に告知するべきか、否か。

父は強気な人である。
弱気を隠すために強気な言葉を出してしまう人である。
だから、もしかすると、告知は決定的な弱気を招き、
死期を早める原因になるしれない。
すぐに、夫の兄弟たちで話し合いが開かれた。
成人をし、仕事を持ち、家庭を持ち、
共通の時間を持たなくなって久しい兄弟たち。
こうしてひとつの机に会するのは、一体いつぶりだろう。
ひとしきり話をした後、夫の妹がポツリ、つぶやいた。
「お父ちゃんが会わせてくれたみたいやなぁ」
結局、私たちは父に病気のことは伝えなかったけれど、
日常的に普段にできるべきことが、
目にみえる早さでひとつずつなくなっていることで、
父も死期が近づくのを感じていたようだった。

それから亡くなるまでの一年間。
父は、私たちに多くのことを教えてくれたような気がする。
「ああせえ、こうせえ」なんて口に出したワケではない。
ちょっとしたことでも「ありがとう」。
一番目のひ孫の遊ぶ姿に「ホンマにこの子は、ええ子じゃのう」。
孫や孫の嫁が難しいことに挑戦すると聞くと、
「ようがんばりゆう、えらいのぅ。わしもがんばらないかん」。
衰えゆく身体と反比例に、発する言葉には
不思議と力が増していくように感じられた。
「強気」と言えば悪いことも含まれそうだが、
父の「強気」は、思えば、自らを鼓舞するものが多かったように思う。
要するに、「前向き」なのだ。
今のその姿勢には、こちらの心が思わず震えた。
そして二番目のひ孫が誕生。
できたての名前を聞いて、「これ以上の名前はないぞ」と誉めた。
(父は、最後の力を振り絞って、ひ孫に会うまでがんばった!)
父の四十九日ももう今週末に。
多忙のうち、実感も伴わないまま時間は過ぎている。
生きていたら、父は、遠くから私たちを見て、
「えらいのぅ。わしもがんばらないかん」と目を細めているかもしれない。
あるいは「もっとやらんかい」と
そう思ってしまうと、見られているようで手が抜けなくなる。
で、やっぱり、頭が垂れるのだ。

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