2013/05/23

2013-05-23:クガイソウ


「ま、今がギリギリ見れるかニャ」
「そうやね。今しかないね」
という父と姉が言うのは、玄関先のクガイソウのハナシ。
美しい今は、ひどく涼やかで、流れるように優雅。
風に揺れたり雨に濡れたりしている姿も、
しっとりとうなじを垂らした女性を彷彿させる色香模様。
紫の小さな花々を穂状にふるふると揺らし、
今年も多くの媒介者を集めているのでしょう。
こんな時期には、みんなこぞってため息を漏らすのに、
たしかに、見頃を過ぎると見るも無惨。
薄紫色ではなくなった花穂が散乱し、
なんというか、本当に乱れた姿となるのだ。

ハッと目を引く美しさを誇る花々は、季節の代名詞であることばかり。
その花の終わりの姿はいつでも、
その季節のままに留まっていたかったような切ない気分に少しさせる。
サクラも、ツツジも、ツバキも、
散った後の姿すら多くの歌に詠まれているのはそのせいだ。
うちでは、玄関先の、いつも目に入るところで佇むクガイソウがその役目を負う。

美しい季節と、“終わり”の季節。
終わったとして、でも、周囲を見ればまた新しく美しい季節ははじまっている。
実はエンドレスにぐるりぐるりと連鎖しながら続いている。
今が終わっても、いつかまたやってくる。
そんなことは、ずっと前から、みんな知っているのだけど。

クマガイソウの今は、まだ、はじまったばかり。
ねぇ、だから、そんなに急がないでおくれやし。


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