梅雨入り3日目の昨日の昼ごろより雨がやんだ。
おとついのような雨に備えてレインコートまで着込んで出掛けた甥も、
「空振りだったね」というような様子で
雨のグッズを両手いっぱいに持って帰ってきたのだった。
甥といっしょにデッキに陣取って果物をいただく。
いただきながら庭の木々を眺め、見つけたセッコク。
デッキからだと、視界にはヤマボウシの花のほうが主張して、
「ほら、あそこ、あの木の脇に、白いの」と言っても伝わらない。
甥は「ボクはこのニンジャみたいな花がいい」と、
やっぱりヤマボウシを指差して楽しんでいる。
着床蘭、セッコク。
今年も美しく花を開きました。
白い口を開いて、今年も何かを待っているような顔をしています。
セッコクの茎にはいくつも節があって、
それが大きな特徴とされることからか
セッコクの茎は「矢」や「バルブ」などのように
いろんなふうに呼ばれているよう。
医療にもよく使われることから、
記紀神話の医療神「少彦名命」にちなんで「少彦薬根」とも。
江戸時代からは古典園芸植物として栽培されるようになり、
葉変わりや、姿、模様を楽しまれた、いわゆる“柄物”とのこと。
花変わりが楽しまれるようになったのは昭和の終わり。
以上、Wikipediaより。
大きな木の脇に、脇役のように咲いたセッコクは、
白くて目立つくせに、まさに「チョロ」という雰囲気。
“着床”と聞くと思わず幸田文の「倒木の更新」を思い出すけど、
そこまでの深刻さも切実さも、みじんも感じられない。
もちろん、生きるために必死なんだろうが、妙にしれっとしている。
あまりにしれっとしていて、注意深く見ないと、または、
気分のピントがぴたっとセッコクに合わないと意外に見逃してしまう。
「セッカクやし、セッコクを」というダジャレは、
写真で見る以上にハマるのだった。
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